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2007年11月 4日 (日)

人の価値

『人とは?』という問いかけは昔から宗教、哲学、歴史の中での永遠の命題です。
そんな難しい哲学的問いは別として、現実に人が人と言える特質とは何なのでしょうか...?

運動能力に関しては、殆どの動物より劣っていて話になりませんが、知的能力に関しては人間の特質だとも言えます。
しかしながら、文字(記号)や言葉にしても、或いは社会性にしても原初的ではありますが、ある種の動物はそれを使って生きているのも事実であり、人間固有の能力ではないのかも知れません。
しかし、例外として『書物』は人間が獲得した知的財産であり、それによって人間の知的活動の流れが一世代で途切れることなく永代に渡って継続し、昇華して人間の知性を形作ったと言えるのではないでしょうか。
そのような人間の知的能力は別格として、人間が他の社会的動物と違う決定的なものがあると私は思っています。

それは、『弱者との共存』です。

弱者とは、社会的・経済的弱者と身体的弱者でありますが、私は博愛主義や理想主義的な意味合いでこのようなことを言っているのではありません。

生物には神(自然)から与えられた大切な任務があります。
それは『種の保存』という至上命令(DNA)です。
自分達という固有種を永久に残して行くためには、より優秀でより強いものと交配し、他種との生存競争に打ち勝つ必要があるのです。

最近、日本で問題になっている『弱肉強食と格差』への批判も世界的に見れば国民皆平等であった日本的社会こそが特異な存在なのであって、地球上の全ての生命にとってこの二つのプログラムは、より強い生命を伝えて行くために至極当然のことなのです。

生命とは自らの種を残して行く生き残り競争なのであって、競争である限りは勝者と敗者が生まれて来るのです。
人間は地球上の生命の中で最も『自然の摂理』を忘れている存在ですから本能的な生命プログラムからの呪縛も希薄であることは間違いありません。しかしながら、人類は自分たちの生み出した宗教、倫理、社会的理念として、弱者を切り捨てて強くなることより、弱者という社会的荷物を抱えながら共に生きて行くことを選んだのだと思います。

人間が他の生物と違う決定的な事、それは社会的弱者を『人間のクズ』と言わず、身体障害者や病人を『できそこない』とせずに、その社会の中に内包し、共に生き、支え合い、差別しない、このことこそが最も『人らしい』ことなのだと思っています。

もう一度言いましょう。
『人は、弱き者を抹殺し、見捨てて強くなって行く道よりも、自然の摂理に逆らってまでも弱者と共に生き、手を携えることで疲弊し、滅亡する道を選んだのです。』

だからこそ、この『人』という種の理念が、地球上の生命の中で最も気高く、尊いのだと私は思っています。

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